「28年間続けられたことではなく、続けられた環境に感謝している」スノーボードアルペン現役引退の竹内智香さん
▼2026.05.26(火) 19:00
「28年間続けたことがすごいのではなくて、続けられる環境にあったことが、本当にありがたいことだった。」
2026年2月のミラノ・コルティナオリンピックをもって現役に区切りをつけた竹内智香さん(広島ガススキー部)は、そう静かに語り始めました。
スノーボードアルペン競技で7大会連続オリンピック出場を果たし、女子選手による冬季オリンピック最多連続出場としてギネス世界記録にも認定された竹内さん。その偉大な足跡を前にしても、口をついて出るのは感謝の言葉ばかりです。
引退後しばらくが経った5月18日、広島市内で、28年間の競技人生と、これからの新しい歩みについて、思いの丈を語ってくださいました。
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「奇跡」の28年間が意味するもの
引退してから、多くの方に「7大会連続出場おめでとう」「すごいね」と声をかけていただきました。
でも、あらためて競技者として終えて過去を振り返ると、やっぱり「続けたことがすごい」のではなくて、「続けられる環境にあったことがありがたい」という気持ちが強いのです。
応援してくださる皆様があって初めて成立するものでしたし、コロナ禍であったり、戦争であったり、さまざまな巡り合わせがある中で競技を続けられるというのは、ある意味一つの奇跡だったと思っています。
7大会連続というギネス世界記録も、オリンピックのメダルも、どちらも長く選手を続けてきた中での「一つの証」です。そういう証がある、ということを、心から、ありがたいと思っています。
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けがも、スランプも、すべて「財産」だった
引退後しばらく経った今も、正直なところ、まだ一般生活には慣れない部分があります。
毎朝起きてアップしてトレーニング、お昼寝してまたトレーニングして早く寝る——小学生の頃から28年間、それしか知らない生活をしてきたので、一般社会に慣れるにはまだ時間がかかりそうです。
運動量が減ることで健康の大切さも改めて感じています。でも、それはそれで、伝える側として大切な学びだと受け止めています。
けがについても同じです。前十字靱帯の断裂も、2年間苦しめられた腰痛も、すべてが「いろんな角度から学ばせてもらえる題材」でした。人より長く続けたからこそ、うれしいこと、苦しいこと、悲しいこと、本当にさまざまなことを経験できた。それが私の財産です。
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好きという気持ちと、あの舞台への憧れ
28年間続けてこられた原動力は何だったかと聞かれると、やはり「スノーボードが好き」という気持ちと、子どもの頃に見たオリンピアンやメダリストへの強い憧れでした。
夢の舞台があったから、続けてこられた。あのとき先輩たちが見せてくれた世界が、私の原動力だったのだと思います。
そして、続ける中で一番大切にしてきたのは、「いつどこに誰がいようとも変わらない生き方」をすること。それができたからこそ、どんな環境下でも28年間続けることができたのだと感じています。
スノーボードは私にとって、まるで教科書のような存在でした。誰かが最初から決めて書いた教科書ではなく、その時々の時代や世界の流れに応じて、いろんなことを教えてくれる教科書。競技を通じて、不可能なことはないという、可能性を信じることの大切さを学んだのも、このスノーボードからでした。
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ソチの銀メダルと、日本スノーボード界の変貌
競技者としての一番輝かしい時期は、やはり2014年のソチオリンピックでした。
メダルを持って日本に帰ってきたとき、たくさんの人たちが笑顔で迎えてくれた。あの光景には、本当にほっとしました。当時は「取って当たり前」と思っていた部分もあったのですが、回数を重ねるほどにメダルがどれだけ難しいかが身に沁みていきました。
だから今となっては、あのときにメダルが取れて、皆さんと喜べる形があって、本当に良かったと思っています。
日本のスノーボード界の変化も、感慨深いものがあります。長野オリンピックからずっと「メダル候補」と言われながら、四大会でメダルが一つもなかった時代がありました。それがソチを境に変わり、今大会では本当に多くのメダルを獲得するまでになった。
「取れない」という固定観念が、こんなにも短い期間で変わる瞬間を、生きているうちに見られたことが、すごくうれしいです。常に可能性を信じることの大切さを、あらためて教えてもらいました。
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広島という町が、私をつくってくれた
広島との縁は、最初は観光客として親戚を訪ねたことがきっかけでした。
最初に広島の魅力として惹かれたのは、食べ物でした。レモンも、オタフクソースも、お好み焼きも、北海道にはない食べ物がたくさんあって。その後、尾道で自動車免許の合宿に行ったのですが、北海道とは全く異なる街並みや歴史の深さに、言いようのない魅力を感じました。
それが今では、広島ホームテレビ、広島ガス所属として、本当にたくさんの方々に支えていただけるようになりました。河川敷を走っていれば声をかけていただいたり、フラワーフェスティバルにも多くの方に来ていただいたりと、温かく優しい応援の中でここまで頑張ってこられました。
広島ガスさんとともに取り組んでいる「ともかアスリートクラブ」での学校授業や笑顔食堂など、地域社会貢献活動も続けていきたいと思っています。北海道での同様の取り組みとも、いつかつながるような形にしていけたら嬉しいです。
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夢を持って、全力で。その過程こそが宝物
次の世代のスノーボード選手たちに伝えたいことがあるとすれば、「夢や目標は、努力をしたからといえば必ずしも叶うものではない」ということです。
「努力は裏切らない」という言葉がありますが、きっと努力に裏切られた人たちも、たくさんいると思っています。
それでも、夢や目標を持って努力を積み重ねること自体が、本当に大切なことです。たとえ夢が叶わなかったとしても、その過程で出会う人たちが宝物になっていく。まずは夢を持って、全力で頑張って、その中で起きることからたくさんのことを学んでほしいと思います。
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目の前にある人と、目の前にあることに向き合う
これからの活動について、大きく手を広げたり、次々と新しいことを開拓したりするつもりはありません。
北海道、広島、日本、スイス——私を支えてくれたルーツの町を大切にして、そこからできることを一つ一つ積み重ねていく。最後には、それが大きなものになると信じています。
2024年5月にはスイスの名誉領事にも就任し、北海道東川町とスイスのある町との姉妹提携、子どもたちの交換留学など、少しずつ計画を進めています。人と人がつながり、私がつないだ人たちがどんどんとつながって大きな輪になっていく——それが、私の描く未来の姿です。
百名山を一か月に二つずつ登りたいという個人的な夢も、健康寿命があるうちにぜひ叶えたいと思っています。
今は、今目の前にある人たちと、目の前にあることとしっかりと向き合っていく。その積み重ねが、これからの私の歩みになっていくはずです。